失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】
「…どう…したの…?」
彼は顔を挙げて僕を見ると
さっきより可笑しそうに笑った
「君を自由にすることも…また作為
の罠かも知れないな…君に『逃げる
な』などと…私が言えるわけも無い
のに…」
「そんなこと…ない…あなたに言わ
れなきゃ…気づかないよ…僕は!」
「ああ…そんな解釈も有り…か」
それから彼は僕の身体を抱いたまま
じっと黙っていた
時間が知らないうちに過ぎて
夕方の日差しになっていた
この静かに抱き合っている時間が
僕の心に染み透ってきた
愛撫も嗜虐も言葉もなく
ただこうしていることが
僕の心の空白を満たしていくような
そんな安らぎを感じた
彼はどう思い
何を感じているんだろう
静けさが眠気を誘った
知らないうちに
僕は睡魔に襲われていた
まどろみの中で僕はかすかな
彼の寝息を聞いたような気がしたが
それもつかの間
夕闇に部屋の中がなにもかも
まぎれてしまったようだった