失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】
崖から離れた僕達は
兄のいる病院へと向かっていた
「大丈夫かい?」
次第に緊張してくる僕を見て
彼が声を掛けてくれる
「ええ…たぶん…」
兄に面会したときに
どんな顔をしたらいいのか
いまだによくわからない
「決意は変わらないのか?」
「はい…それは…絶対に」
それだけは再考の余地なく
僕は決めた
僕は僕と兄の関係を
記憶を失った兄には
絶対に話さないと
そして兄とその父親との
忌まわしい過去のことも
兄の記憶が戻らなければ
絶対に
兄のあの屈託のない笑顔のために
僕は兄の記憶を
永遠に封じてしまいたいとすら
それが僕にとって
諸刃の剣だとしても
兄は求めているだろうか
自分の記憶を
蘇らせたいと必死で
治療を受けているのだろうか
もしそうだとしても僕は
もう兄をあの罪悪感と狂気の中に
連れ戻しはしない
僕は黙っている
こんどこそ
ふつうの兄弟として
兄を愛するために
僕にできるだろうか
我慢の出来ない僕に…
違う
しなければならない
どうしても