失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】
3ヶ月分の家賃を前払いで振込み
いつ終わるかわからない生活を
不安と幸せがない混ぜのまま
ふたりで送る
母が取っておいた兄の服が
そのまま新しい部屋に送られた
取っておいてよかったと
母が切なげに呟いた
「君が弟で良かった…男二人の生活
を世間様に疑われずにすむからね」
入居当日の昼下がり
マンションの管理人に挨拶をした
部屋に案内され鍵をもらって
管理人さんが立ち去った後
そんなことを耳元で囁かれた
「弟なんて思ってないくせに」
少し言いたくなる
「それも良かった…ドキドキする」
…めげない…笑ってる
うれしそうでちょっと困る
何と言っていいかわからなくなる
玄関に車椅子用の簡易スロープを
前もって設置しておいた
部屋には歩行器が先に届いている
整形の先生が注文してくれた
とりあえず試しに歩いてもらおう
車椅子から歩行器に移行するのも
先生の推薦機種だけあって
わりとスムーズに行けた
これなら1人でも移動が簡単だ
「綺麗な部屋だね…消毒液の臭いか
ら解放だ」
「ここのトイレ手すり付いてるんだ
よ…ほら…狭いけどわりと使いやす
そうだね」
「ホントだ…入ってみる」
とはいうものの
歩行器からここの便座に移るのは
案外一苦労で…
「これは…ここからが至難の業」
「いつもどうしてたの?」
「松葉杖のほうがここは楽かな」
「じゃあそうしよう」
「とりあえず肩貸して」
「ここに座る?」
「そうだね…そこに丸椅子があれば
いいのか」
備品の買い物リストを作った
彼の車椅子を押して
一緒に買い物に行った
そのひとつひとつを
胸に刻んでいった