失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】
そしてその数日後の明け方
彼はひっそりとあちらへ往った
母が病室の簡易ベッドで仮眠を
僕がマンションで寝ている隙に
まるで猫が最後に独りで行くように
彼は誰にも看取られずに
こっそり往ってしまった
泣き虫な母も僕も
不思議なくらい泣かなかった
それを知らされた時も
身内だけの葬儀の時も
実感がないからなのか
それとも
ただ火葬場で最後のお別れで
僕らはその時だけ涙を落とした
それでもそれは悲しみよりも
この人生が終わったことへの
兄に対する労いの思いの涙
だったように思えた
「魂って…抜けちゃうのね…」
火葬場の待ち時間の間
母がポツリとそうもらした
それは僕も兄の遺体を見て
なにか不思議な違和感を感じた
そのことだったように思う
「そうだね…抜けるとそれってもう
兄貴じゃ無くなっちゃったような…
気がして…不謹慎かも知れないけど
…ただの容れ物なのかなって…僕不
思議で」
それが僕達を泣かせなかった
本当の理由かも知れなかった
いちばん憔悴していたのは
父だった