失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】
漆黒のベンツの中に僕を閉じ込めて
アルマーニの男は夜の街を
ゆっくりと走って行った
二人きりの車の中
やはり男は無言だった
街を抜け少し行くと
閑静な高級住宅街に差し掛かった
綺麗なマンションのパーキングに
吸い込まれるようにベンツが入り
そこから地階にエレベーターで降り
高級マンションのB2とは思えない
重くてゴージャスな深紅の扉の前に
案内と思われる黒服が立っていて
男は顔パスで黒服が開けた扉の中に
僕を連れて入って行った
暗いロビーを抜けるとそこは
扉と同じ深紅の厚い絨毯が
一面に敷かれたフロアがあり
秘密のクラブのような雰囲気で
テーブルにはまばらに客がいて
ワインやオードブルが並んでいた
奥の壁は区切られて
いくつかの個室になっていた
僕らは黒服に案内されて
その個室の一つに入った
「なにも訊かないのか?」
テーブルに着いてしばらくしたあと
黙って放心している僕に
男が話し掛けた
男の話す声を
初めて聞いたように感じた