To.カノンを奏でる君
 花音は小さく頷き、そのまま顔を上げずにいた。

 今、祥多の顔を見てしまえば泣き崩れてしまうと分かっていたからだ。ただでさえ熱で頭が朦朧としているので、涙腺は脆い。


「…俺が言った約束の事なんだけどさ」


 約束と言う言葉を耳にし、花音は恐る恐る顔を上げた。そうして祥多の優しく寂しげな瞳と出合う。

 きゅうっと、胸が締めつけられる思いがした。


「明後日の手術が無事に終わって、俺が元気になったら、その時は」


 一旦言葉を切り、続く言葉にありったけの想いを込めた。


「撤回していいか?」


 それは花音にとって、夢のような言葉だった。

 綿生地のマスクの上から口許を押さえた。


 視界がぐにゃりと歪む。花音は涙を抑えるのに必死になりながら、こくこくと何度も頷いた。

 祥多はほっと安堵の息を漏らす。


「んじゃ、俺めちゃくちゃ頑張んなきゃな。成功確率が30%の手術って洒落にもなんねーほど難しい手術だもんな」


 他人事のようにけらけら笑う祥多。しかし花音は笑えずにいた。

 祥多が手術に臨む事を恐れているのが分かるからだ。


 もしかすると、再び目を開ける事は叶わないかもしれない難しい手術。怖くないわけがない。

 笑顔の裏に隠された大きな恐怖心。花音はそれを痛いほどに感じていた。
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