To.カノンを奏でる君
 二人の姿が見えなくなる頃、直樹はくるりと振り返り、立ち尽くしている美香子を見た。

 直樹にまっすぐに見つめられ、美香子は睨み返す。


 互いの間に不穏な空気が流れる。


「何よ」


 気まずさと沈黙が苦になったのか、美香子は口を開いた。

 そうすると直樹は企みのありそうな笑みを浮かべて言葉を返す。


「手術が成功すれば、タータンは約束を撤回する。……そうなると葉山さんの居場所はなくなるわね?」

「何よ、約束って」

「お互いを好きにならない。あの二人は中学校入学前にそう約束したのよ。それを撤回するとタータンは言った。どういう事か分かる?」

「………っ!」

「ほら。貴女のたった一つの砦がなくなっちゃう。どうする? タータンの手術が失敗するように祈る?」

「なっ?! バカな事言わないでよ! 私にだってプライドってもんがある!」

「ふーん、プライド。じゃあまぁそのプライドってものを見せてもらいましょ」

「……っ」

「じゃあ、また明日。受け取ってもらえないチョコ持参でいらして」


 直樹は身を翻し、真っ白な廊下を歩いて行った。


 美香子は唇を噛み締め、俯いた。胸の奥が苦しくてどうしようもなくソファーに座り込んで、込み上げる涙をぐっと堪えた。


「美香子?」


 不意に聞こえた声に、美香子は勢い良く顔を上げた。

 美香子にい訝しむような表情を向けたのは、彼女の母親だった。


「何してるの、こんな所で」

「あ……柚の様子を見に」

「そう。じゃあ早く帰んなさい。冷蔵庫に昨日のカレーの残りがあるから、夕飯はそれ食べて」

「……うん」


 母が病室に入って行くその後ろ姿を見つめて、美香子は病院を後にした。
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