To.カノンを奏でる君
 張り裂けそうな想いで、花音は祥多を見つめる。

 こんなに目覚めを待っても無駄なのだろうか。祈りは届かないのだろうか。


「祥ちゃん…。祥ちゃんの声が聴きたい。ちゃんといるのに。生きてるのに。話も出来ない、声も聞けないなんて」


 苦しくて苦しくて、どうしようもなかった。

 こうして生きてるのだから、まだ笑う事も出来るはずだ。そう思っては、ただただ胸の奥が痛む。


「早く起きてくれないと私、待つのやめちゃうよ。いいの?」


 返事は返って来ない。


「三月の終わりまでに目を覚まさなかったら、私もう待つのやめるからね」


 新しい道を探して歩いて行く。

 祥多の事はもう思い出にして、新しい恋をして、新しい自分になる。


 花音はそう、心に決めた。















 サアァァァッ――


 開いたままの蛇口から水が止めどなく流れ、排水口に吸い込まれて行く。


 美香子はただその様子をぼんやりと見つめていた。

 先刻の直樹の言葉がずっと頭の奥で反芻している。


 ──お前だけがこの三年間苦しんで来たと思ってんの?


 そう、ずっと繰り返されている。


 美香子はぶんぶんと大きく頭を振った。


 自分だけが苦しんで来たと思った事など一度もない。花音も直樹も苦しんで来た事くらい、痛いほどに分かっている。


 花音のどこか悲しげな、三年前とは打って変わった雰囲気。初めて見る直樹の正装。

 それぞれが変わった様子を見れば、祥多の事をどれだけ抱えて今日まで来たのかすぐに分かる。
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