To.カノンを奏でる君
「ボランティア?」

「毎週日曜日、朝9時から三階の小児科でね」

「へぇ。意外だな」

「何言ってるの。私は君の空けた穴を埋めてただけよ?」

「は? 俺が空けた……穴?」

「ほら、目覚めたんだったら行くよ。みんな君の目覚めを待っていたんだからね」

「おい! んな勝手に、」

「何? 受験生になってもずっと、日曜日の一時間を犠牲にしてまでも続けたのよ? 文句が言える立場なの?」


 鋭い睨みを利かせ、祥多を見据える。


「言えるわけないわよね? いくら記憶喪失だからって、私の言葉に嘘偽りないんですもの」


 妙に有無を言わさない花音に圧され、祥多は顔面蒼白で口を閉ざした。


 花音は恐れを抱かせるほどに爽やかににっこりと笑う。

 形勢逆転だ。昔は花音の方が立場が弱く、祥多の有無を言わさぬ雰囲気に気圧されてばかりだった。


 何故こうにも花音の態度が強くなったのかという疑問の背景には、記憶を失くした祥多への怒りが込められていた。本人は気づいないようだが。


「行こう。本当に、みんな待ってたの。早く元気な姿を見せてあげてよ」


 優しく頼む花音に、祥多は嫌だと断る事が出来なかった。


 本当はまだ出歩く事はしたくない。

 誰かに出くわして、誰なのか分からない状態で、相手を傷つけるか不愉快な思いをさせるのは目に見えて分かる。

 それを思うとどうにも、出歩きたくなくなる。


 しかし花音の言葉は、やけに心に染みた。断れば花音を傷つけ、自分も後悔すると感じた。


「分かったよ……行けばいいんだろ」

「ありがとう」


 ふわりと花が咲くように笑った花音を見て、祥多はつくづく思った。

 今までの自分は、彼女のこの雰囲気に圧されてばかりの人間だったのではないかと。
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