To.カノンを奏でる君
 もう聴く事はないかもしれないと思っていた祥多のピアノ。

 今こうして聴いていられる事が嬉しくて堪らず、花音は静かに涙を流した。


 泣いて喜ぶほどに、祥多が目覚める確率は低いと言われていたのだ。だからこうして、ピアノを弾いている祥多を見ていられる事が、花音には奇跡のように思えた。


 弾き終えた祥多は、皆から拍手喝采を受けた。照れ臭そうに戸惑う祥多に、花音は微笑む。

 三年ものブランクがあったにも関わらず、祥多のピアノは人の心に響いたようだった。


(まだまだ、私は祥ちゃんに追いついていないんだね。三年重ねても、私のピアノは響かない)


 困り果てた祥多は助けを請うように花音を見た。

 微かに目が赤い花音に驚きを見せながらも、ただ黙って花音を見つめた。


 祥多の視線に気づいた花音はにっこりと微笑み返す。


 何故だか急に、祥多は花音の陰を見たような気がした。笑顔の裏に隠された、深く重々しい陰。

 花音がいつも笑っているのは、その陰を隠す為のような気がしてならなかった。


「じゃあ、ごめんなさい。皆さん、今日はこの辺で」


 花音の言葉で、わざわざ足を運んで来た患者達がピアノ室を後にして行った。

 全員が出て行ったのを確認し、祥多は口を開く。


「どうした?」

「え? 何が?」

「何か変」

「普通だよ。いつも通り。ほら、好きなだけピアノ弾いてよ。その為にいつもより早く店じまいしたんだから」
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