To.カノンを奏でる君
 腑に落ちないが、何を訊いても無駄だと悟った祥多はピアノを弾いた。

 祥多の傍らで、花音は祥多のピアノに聞き入る。


「ねぇ、祥ちゃん」


 花音の呼びかけに、祥多は答えない。ただ淡々とピアノを弾く指だけを動かす。

 わざと答えなかった訳ではない。どこか寂しそうで物悲しい花音のか細い呼びかけに、返し方がよく分からなかったのだ。


「外は春。一緒に桜見に行こうよ。まだまだ咲き始めだけど、もう少ししたら綺麗なんだから。今年は咲くの早いんだって」


 どこかで聞いたその言葉に、祥多は手を止めた。不自然に曲が止まる。


 どこで聞いたのだろう。急速に回転し始めた祥多の頭は、ただひたすらにその答えを掴もうとしていた。


「退院出来たら、だけど。桜の季節が終わるまでには退院出来ないかな?」


 眉根を下げて笑う花音の背後は、大きく伸びた桜の木が窓越しにあった。

 その木の枝には幾つもの小さな蕾と、同胞達より先に花開く事を申し訳なく思っているように咲く花。

 まだまだこれからであるはずのその桜の木が、寂しそうで儚げな今の花音と同調していた。


 時折り花が咲くように笑う彼女には満開の桜が似合うだろうに、今一番合っているのは、満開には少し遠い桜の木であった。


 そうさせているのは自分だという事を、祥多は気づいていた。だからこそ、疑問に思う事もあった。

 何故そんな思いまでして、彼女は自分の傍にいるのだろうかと。
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