To.カノンを奏でる君
「お前が今、一番に望む事は何だ、花音」


 静かな低い声で祥多は言った。耳を塞いでいても飛び込んで来たその言葉に、花音は恐る恐る耳を放す。


「俺に何をして欲しい」


 再度尋ねた祥多に、花音はゆっくりと振り返る。

 まっすぐにこちらを見つめてくれているものの、その瞳は物悲しさを孕んでいた。


 花音は胸を痛めながらも、思いを言葉にする。


 花音が祥多に望む事、それはただ一つ。


「祥ちゃんが苦しいのは分かる。でもお願い、あの約束は撤回して?……じゃないと私、前に進めない。どんな結果になってもいいから」


 撤回してもらって、自分の想いを受け入れろとは言わない。そこまでは望まない。けれど、想いを伝える事は許してもらいたい。

 長年の初恋に決着を着けなければ、花音はずっとこうして祥多を追い続ける事になる。それは避けたい。祥多の迷惑になる事は嫌だ。


「分かった。お互いを好きにならないって約束、撤回する」

「……本当に?」

「ああ。約束は撤回する。今まで縛りつけてごめんな」

「……っ!」


 余程嬉しかったのか、花音は目に涙を浮かべた。が、涙が零れてしまう前に拭う。


「ワガママ、聞いてくれてありがとう。あの日の約束、果たしてくれてありがとう」


 拭ったはずの涙が、再び浮かんだ。


「へへ…。やっと言える」


 ごしごしと目を擦り、花音は祥多と正面から向き合う。


 泣くとすぐ目が赤くなる花音はまるで兎のようだと、祥多は昔思っていた事をふと思い出した。

 すっかり変わってしまったと思っていたが、凛とした立ち姿や黒く澄んだ瞳、まっすぐさは昔と変わってはいなかった。


 その事にほんの少しだけ、安堵する。
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