To.カノンを奏でる君
「じゃあ、お父さんとお母さんは結婚式してないの?」
宝物のような6歳の愛娘の問いに、花音は小さく笑う。
「お母さんが大学を卒業する頃、お父さんはピアニストとして有名になっちゃってたから。結婚式する時間がなかったの。いろ~んな所飛び回ってたし」
「ふーん…」
長男が大して興味がなさそうに声を上げ、本に意識を戻す。6歳にしては妙に冷め、博識な息子だ。
ピアノくらいしか特徴がなく騒がしい夫婦である自分達の間に産まれ、よくそんな風に育ったなと花音はつくづく思う。
「でもお母さん達は、サヤと奏多(カナタ)みたいに小さい時から一緒だったんでしょー?」
「3歳の時からね。でも、産まれた時から一緒の貴女達には敵わないわ」
花音はいとおしげに、二卵性双生児として産まれて来た我が子達を見つめた。
不意に立ち上がり、窓際に立ててある写真立てを手に取った。中三の時の懐かしい写真。
ピアノを弾いている花音の傍らで、優しい顔をして見守る祥多。
あの頃は本当に幸せだった。いつでも祥多に会えたし、会えば祥多は笑ってくれた。
──それなのに、今は。
「今日も、帰って来ない…」
花音は写真を見つめ、ぽつりと呟いた。その表情には翳りがある。
目頭が熱くなるのを感じた。
「──おい。俺は不倫旅行にでも行ってるのか」
突然、聞こえた声に驚いて振り向く。
すると、リビングの入り口に立つ、スーツ姿の祥多。
「あっ! お父さん!」
祥花(サヤカ)は嬉しそうに笑い、父を迎える。
抱きついて来た祥花の頭を撫でながら、リビングの中に入って来た。
花音は若干、引き攣り笑いをする。