To.カノンを奏でる君
 テレビの音や笑い声が耳に入る。悲しみの底にいる祥多にとって、それは雑音になる。

 顔を歪め、耳を塞ぎ、ナースステーションに着く。


「松岡、さん」


 中のテーブルで作業をしていた由希に声をかける。


 由希はすぐに気づき、祥多に近寄る。


「どうしたの、祥多君!」


 顔色の悪い祥多を見、由希は驚いた。


「体調悪いの? ならナースコールで…!」

「ピアノ」

「え?」

「ピアノ、弾かせて下さい…」


 突然の申し出に、由希は首を傾げる。

 祥多はいつもピアノ室利用の時間を守っていた。そして、その事に対しての不満を口にした事はなかった。


 何かあったのだと悟った。しかしそれは口に出さず、奥に下がっているピアノ室の鍵を祥多に渡す。


「少しだけ…よ」

「ありがとうございます」


 鍵を受け取った祥多はピアノ室に向かった。

 ピアノを弾いて落ち着かないと、心が壊れてしまいそうな気がした。

 大切な存在が遠くなり、異常な虚しさに押し潰されそうで──。


 ピアノ室に入った祥多はすぐにピアノと向き合い、鍵盤に触れた。すぅっと心が落ち着いていくのが分かる。


 そして奏で始めた曲は、愛しく想う少女と同じ名を持つ曲。

 夢中で指を動かす。蛍光灯の代わりに、月明かりが祥多とピアノを照らす。


 切なく揺れるメロディは、闇の中に消え去った。





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