To.カノンを奏でる君
「ハイハイ。そんじゃ、」


 ピアノから離れる祥多。


「久々に弾いてもらいましょーか」


 そう、にやりと笑う。

 何を弾けと言っているのか、花音はすぐに分かる。二人にとって大切な曲。


「貴重な時間なんだから、祥ちゃんが楽しんでよ」

「何を言う。そんなん今更だろ? ずっとコンクールの練習付き合わせてたくせによ」


 それを言われちゃ、何も言えない花音。黙って素直にピアノと向き合う。


「だーいじょうぶだって。取って食うわけじゃねーし。それとも何か? 俺の言う事が聞けない?」

「ゔぅ……」


 本当に、こういう場面に直面すると花音は弱い。いつでも祥多の方が一枚上手だ。


 ポロン…


 軽快でどこか跳び跳ねるようなメロディ。

 祥多はピアノにもたれかかりながら腕を組む。


 ピアノは弾き手の性質を忠実に映し出す。鏡のようなものだ。

 もちろん、ピアノだけではない。全ての楽器は弾き手の性質を忠実に映し出す。

 優しい者が奏でるものなら優しい音を。苦しむ者が奏でるものなら苦しい音を。


 そしてその音は空気を震わせ、誰かの胸に飛び込む。


「最近ずっとコンクールの課題曲と自由曲ばかり弾いてたから、カノンなんて久しぶり」


 目を閉じながら、指と心でピアノを奏でる。一音も間違えず、指は確実に次のキーに移る。
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