『A』
 
………

何もない。

本当に、無。

少女は、意識を奥の奥に押し込み、完全に石になっていた。

(………ん?甘酸っぱい)

口の中に広がる甘酸っぱい味が、少女の意識を表層に引き上げる。

「……メ!
ヒ………」

(なんか…聞こえる)

「ヒメ!
起きてくれ!ヒメ!」

「………リョー?」

「ヒメ!
…よかった」

「リョー……私?………」

「こんなとこで昼寝しやがって、風邪引くぞ、この馬鹿」

コツン、と、頭を軽く小突く。

「…寝てた?
アレ?私
もっと、違う何かをしていたような…」

なんだか記憶が朧げで、曖昧だ。

絶対に物事を忘れない少女にとって、それは、初めての体験だった。

少女の無事を確認し、ホッとした表情を浮かべたのもつかの間。

キッと鋭い目付きで、天井を睨む亮。

「…ちょっとここで待っててくれ…
あの親父ぶっ飛ばしてから帰ってくっから…」

そう言い、部屋から出て行こうとする亮の背中に少女は必死にしがみつく。

「いや…リョー…
行かないで…です」

ブルブルと震える少女、少女自身、一体何に怯えているのかわからなかった。

だが、今は一人にはなりたくなかった。

「わかった、どこにも行かねぇよ」

振り返りニッコリと笑い、その大きな手で少女の頭を優しく撫でる。

「ありがとう…です」

少女はそう言い、また亮にしがみつく。

少女は涙を流し、そして、涙が哀しみ以外の感情でも出ることを知った。

少女に抱き付かれ亮は赤面し、ポリ、と頬を掻く。

少女と亮の口の中には、レモン味のキャンディの甘酸っぱい味が広がっていた。
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