淡雪恋話
もう、夜の十時を回ろうとしていた。
クリスマス・イヴも、もう二時間しか残されていない。
一歩、一歩、本当に辛そうに歩いている五月ちゃんは今、私が来た事のない公園に足を踏み入れようとしていた。
大体、ここは何処なのだろう?
公園の中に入ると、私の目に飛び込んできたモノがあった。
それが、公園の中央にある巨大な桜の木だった。
――あ、これが話に出ていた桜の木なのだろうか?
一瞬、そう考えた後に唖然とする。桜の木の下には誰もいない。
五月ちゃんは、その桜の木の元に必死に歩きながら、にっこりと笑顔を浮かべた。
「待たせてごめんね、隆志……」
桜の木の下には誰もいない。
誰もいない。
誰も――
五月ちゃんの手から、持っていた鞄が落ちた。
――もう、握力も限界なのだろう
一歩、一歩、一歩、一歩、積み重ねられてきた彼女の苦しみ、悲しみ、そして隆志君への愛しさ。
それら全てを内包している、五月ちゃんの儚げな笑顔。
「隆志……」
桜の木の下に辿り着いた五月ちゃんは、涙目で「あはは」と笑うと、私にこう言った。
「待ち合わせの約束、夕方の六時だったんだもんね。こんな時間まで待っていてくれたら、ホントに馬鹿、だよね……」
それでも五月ちゃんにとっては大切だったのだ。
この場所で隆志君と逢い、そして隆志君にクリスマスプレゼントを渡す、という事は――
五月ちゃんにはちゃんと分かっていたのだ。
この場所に隆志君はいないという事を。