潮騒
一緒に行きたいのにー、と騒ぐチェンさんを無視して、マサキはあたしの手を引いた。


事務所から連れ出されると、夜風が冷たく吹き抜ける。


ぐるぐると、色んなことが頭の中を回っていた。


彼は闇空に白い吐息を混じらせる。



「アイツとホントは何話した?」


「…えっ…」


「だって徳川家康が発明家だって説明するヤツ、普通はちょっといねぇだろ。」


やっぱり、全ては見抜かれているということか。



「聞いたんじゃねぇの、チェンの昔のこととかさ。」


返す言葉が出なかったというのは、つまりはそれは、肯定してることと同じだ。


マサキは視線を彼方へと投げ、



「まぁ、アイツはあんなんだけど、軽蔑されたり同情されたりすんの、すっげぇ恐れてるみたいだから。」


「………」


「つか、俺も似たようなもんかもしれねぇけどさ。」


知ってほしいと思う反面で、心の内に踏み込まれることが怖い。


抱えたものの大きさの分だけ人というのは難解で、そして欲張りなのだろうと思う。


でもまだあたしには、チェンさんみたいに過去を晒せる勇気はないの。


そして、きっとマサキもそうなのだろうけど。



「あたしは別に、誰かの生き方を否定できるほど立派な人間なんかじゃないから。」


お兄ちゃんが生きてたなら、とまたそれが、脳裏をよぎる。


今日も手首の古傷の痛みが消えることはない。


漆黒の空には、やっぱり星のひとつも見られなかった。

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