潮騒
「じゃあ、気をつけてくださいね。」


「あぁ。」


「愚痴ならいくらでも付き合いますから、ホント、また来てくださいよ。」


けれど、それには応えなかった彼は、



「今日は久しぶりに会えて良かった。」


「何言ってるんですか。」


なのに北浜社長はひどく穏やかな顔で笑っていた。


そして、まるで優しいお父さんみたいに、



「元気でな、ルカ。」


それだけ言って、去っていく後ろ姿。


あたしは彼が見えなくなるまでその背を目で追っていた。


何故か今生の別れのように思えてきて、胸がざわつくが、すぐに北浜社長の姿は人の波に消されてしまう。


心配が思い過ごしであることだけを願った。


願っていたのに、フロアに戻り、一度トイレで落ち着こうと待機所の前を通った時、



「さっきさぁ、ルカさんの卓にあの北浜社長が来てたよねぇ!」


聞こえてくる話し声に足が止まる。



「そうそう、倒産したって噂の、でしょ?」


「マジでウケるんですけどー!」


それは、鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。


彼の様子がおかしかった理由も、先ほどの言葉の意味も、今更になって知らされた。


失ってから気付くのだと、北浜社長は言っていたけれど。


会社も、もしかしたら家族でもさえも、彼の手にあったものすべてが零れ落ちてしまったということか。


ぎゃははは、と笑う彼女達の声だけが、あたしの耳をただ通り過ぎる。

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