潮騒
これは親戚の人から聞いた話だけれど、お母さんも幼い頃に、親から暴力を振るわれていたのだという。


虐待されて育った子供が同じようになるケースは稀ではないけれど。


だからこそ、お母さんは結婚当初、子供を産むことを拒み続けていたそうだ。


でも出来てしまった命。


それでも迷いながらも育てたお兄ちゃんは、お母さんにとって、自らの命よりも大切な存在になった。



「…あの頃は良かったのに、ルカなんかいなければっ…」


そうだね、あたしなんかいなければ良かったのにね。



「その怯えたみたいな目も、人の顔色をうかがってばっかりなところも、全部昔のあたしにそっくりで、気味が悪いのよ!」


「………」


「何も言わないくせに、人を責めてるような顔して、役に立たない人形みたい!」


その通りだよ、お母さん。


だからあたしは体を売ることしか出来ないの。


もう一度ごめんね、と言おうとした時、まるでそれを遮るように、あたしの携帯が着信のメロディーを響かせた。


お母さんは唇を噛み締め、手渡した封筒をバッグに仕舞ってから、席を立つ。



「またお金が必要なら、いつでも言って。」


その背に向かって声を掛けたのに、



「いくらあってもユズルはもう生き返らないけどね。」


吐き捨てられた台詞が、突き刺さる。


お母さんが店を出てから、落ち着こうと煙草を取り出したのに、その指先が震えていて、驚いた。


途切れた着信音を確認し、ディスプレイを見てみれば、“レン”と表示されているが、今は掛け直そうとは思えない。


吐き出した煙が嫌に苦く感じてしまう。

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