潮騒
何かを考え、答えを出せるほど、あたしの思考に余裕は生まれてくれなかった。


だからただ、この場を取り繕うことで必死だった。



「あたし、三坂さんにそう言ってもらえるような人間じゃありませんから。」


「自分で自分の価値を決めて、線引きなんてしたらダメだ。」


「………」


「そういう判断は、他人に任せておけば良い。」


三坂さんはさらに言う。



「わたしと来れば、また違った世界を感じられると思うがね。」


「…違う、世界?」


「新しい自分を見つけられるかもしれないだろう?」


そして彼は煙草を灰皿へとなじり、財布の中から一枚の名刺を取り出した。


某社の専務というご立派な肩書が刻印されている。



「転勤は次の春だ。
それまでに決めて、連絡をくれ。」


三坂さんは席を立つ。


テーブルに置いた名刺の横に、飲み物の代金としてはおかしなほどの札を並べて。



「キミのためにならない人間関係なんて、切り捨ててしまえば良い。」


取り残されたあたしと、その言葉。


一瞬マサキの顔が脳裏をよぎり、けれどすぐにそれは掻き消された。


消えずに残った煙草の煙だけが、漂うように宙を舞う。


あたしは顔を俯かせた。

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