泣かない家族
母が痛みに耐えながらも動けたのは9月の頭までだった。
旭川で母の高校時代の友人が集まり、母がガン治療で頑張ったお祝いをしてくれる事になっていた。
調子が悪いから行くかをギリギリまで母は悩んでいた。
「最悪具合悪かったら旭川なら迎えに行ってあげるよ?車で2時間ちょいだし」
あたしがそう言うと「ちょっと行ってみる」と言った。
髪の毛がショートカットくらいまで伸びたから髪を染めて母は旭川へ行った。
(大丈夫かな?)
いつ迎えに行ってもいいように夜中になるまで薬を飲むのをやめて連絡がくるのを待っていた。
電話が鳴って慌てて出ると、元気な楽しそうな母の声だった。
「大丈夫そうだから明日も泊まるから」
ご飯もいつもより食べれて何より友達とのお喋りがストレスをかなり発散させているみたいだった。
「わかったよ。でも無理だけは絶対にしないでね?」
あたしが何度も言うと「大丈夫だよ」と嬉しそうに電話を切った。
後で母の友人から聞いた話だけど、この時普段は家族の話をあまりしないのに饒舌に家族の話をしていたらしい。
あたしの交際の反対をしている事や病気の事まで話していたというから驚いた。
母はいくら親しい友人でもそんな込み入った話をする人ではない。
『何だかハルちゃんの事よろしくねって言われた気がしたのよ』
母の友人がそう教えてくれて、何か困ったり悩んだりした時は言う様にと言ってくれた。
遠くの親戚より近くの他人。
他人の方が優しいんだってわかるのはそれから数ヶ月後。
母が他界してからわかる事。