泣かない家族
その間に母方の祖父が亡くなった。
亡くなるまで母と妹弟が交代でずっと付き添いをしていた。
母は夜担当で相当疲れていた。
代わってあげようと思って何度も深夜の病院を訪れたけど、
「お見舞いが終わったら帰って」
と、仮眠をとるスペースで毛布を被りながら言われた。
母方の祖父母は初孫の兄を、そして次に生まれたあたしを異常なまでに可愛がった。
子供の頃、夏休みや冬休みに入ると次の日には函館からJRに兄と2人で乗って札幌の祖父母の家に行き、父の盆、正月休みに帰るか、休みが終わる数日前まで札幌で過ごしていた。
何でも買ってもらい何不自由しなかった。
小学生の頃、少女漫画の「りぼん」を毎月のおこずかいで買っていたけど、祖父母の家に行けば「りぼん」も「なかよし」も同時に買ってもらえて、同居していた母の妹と弟が自由研究や宿題をやってくれた。
特に祖母は兄を溺愛し、母に「あんたに育ててやらせてるだけ」と言って母は仰天した事があったという。
祖母が亡くなった時、あたしはまだ小学生に人の「死」というのがよくわからなかったけど、祖父が危篤の時もう社会人だったから悲しくて泣いた。
だから疲れているみんなに代わって付き添いがしたかった。
でも、母はあたしが彼氏との事を説得しにきていると思って、付き添いを申し出ても「キレイ事はいらない」と突っぱねた。
祖父は亡くなる直前、ほとんど喋れないかったのにあたしが手を握って「じいちゃん」と呼ぶとハッキリした声で言った。
「ハル、頑張れ」
他の人は何か意味不明な事を言われたらしいけど、まともな事を言われたのはあたしだけだった。
何を頑張ればいいのだろう・・・
それは今現在も謎だけど、その頃には今の病気の前兆となる自律神経失調症になっていたから、そういう意味だったのか、これから先の人生が見えての発言だったのか、まだわからない。