君を忘れない。
研究室を出た私の足が向かった先は、あの桜の木が立ち並ぶ場所。
一平さんと、初めて出会った場所。
あの頃の桜は散ってしまい、今は緑の葉が風に揺れていた。
ギラギラと照り付けていた太陽は、西へと傾き始めていた。
頭のすぐ上で、蝉が鳴いていた。
「喜代…!」
花のない桜の木を見上げながら歩いていた私を、誰かが呼ぶ。
まさかと思い、私は振り返ることはなく、ただ足を止めた。
「…喜代っ。」
二度目、確信した。
だけど私は振り返らない。
「…なんの真似だ。」
一平さんは、荒れた呼吸を整えてから、いっそう低い声でそう言った。
まさかこんな慌てて追いかけてくるだなんて、思ってもみなくて。
どんな表情をしていいのかすら分からない。
「…兄の荷物もあと僅かになりました。もう私一人でも、大丈夫かと思いました。」
振り絞るように、私は答えた。
一平さんを見てしまったら、何かが溢れ出ると思った。