償いノ真夏─Lost Child─
目前で、追いかけていたはずの九郎が吼えている。牙を剥きだした姿に、穏やかで優しかったかつての面影はなかった。
しかし、その対象は真郷ではない。
真郷の〝向こう側〟に向かって、九郎は威嚇していた。
ひやりとした空気が肌を撫でる。振り向けない。振り向いてはいけない。耳鳴りがする。
「ねぇ」
誰かに呼ばれた気がした。ぶぅん、と、黒い羽虫が飛び回る。
再び、肩に何かが触れた。その途端、ありえないほどの腐臭が鼻をついた。
──自分でも気づかぬうちに、真郷はその場に嘔吐していた。
肩に触れるもの、黒い虫、腐臭──すべてが結びついた、その正体を知った時、はたして正気でいられるものか。
ぐるぐると視界が揺らぐ。倒れ込んだ真郷が見たものは、神木にぶら下がり、どろりとした目で己を見つめる女だった。
その女は、五年前の夏、この神社の境内で巫女として舞った村長の娘であった。
「また、会ったね」
青黒く腫れ上がった女の唇は、動いていなかった。
真郷は意識を手放した。