Adagio
けれど俺も人のことは言えない。
ついこの間まで、駒田の名前も知らなかったぐらいだし。
うつむく俺に駒田が笑いながら自分の左頬を指差す。
「…ケンカは程々に、ね?」
言われて、左頬の痛みを思い出す。
手のひらを当てるとそこは、この初夏の気温にも負けないぐらいの熱を持っていた。
「保健室に行くなら、俺が先生に言っておくよ」
一瞬、頭の中で考えを巡らせる。
ここで保健室に行ってもいいんだろうか。
そうやって甘えても、許されるんだろうか。
だけど俺はもう、脳裏にちらつくあの笑顔を無視してピアノと向き合うことなんてできない。
「悪い…」
短く呟いて俺は保健室の方へ歩みを進めた。