Adagio
埃を被ったピアノを間近で見て、本気で申し訳なくなる。
軽く埃を払って鍵盤に指を滑らせるとすぐ、若菜の表情が華やいだ。
「この曲…」
そう、誰もが一度は耳にしたことのある名曲。
パッヘルベルの「カノン」。
簡単にアレンジされたこの楽譜に難しい部分はほとんどない。
それどころか以前の俺なら鼻でせせら笑ってしまうほど簡単だ。
けれど今、無性にこれが弾きたかった。
俺の指はこの曲を求めていたし、若菜にはこの曲が一番似合うと思った。
駒田の言ったことに、今なら頷ける。
俺の演奏で誰かが笑ってくれたらそれで充分だ。
若菜がこれを聴いて笑ってくれたら、ここまでピアノを続けてきてよかったと思える。
やっと、そう思える。