Adagio
泣き笑いのようにくしゃっと双眸を細めた駒田が、静かに視線を逸らした。
「痺れを切らした母さんが、最低なことをしたよ」
「最低なこと…?」
「北浜くんも知ってると思うんだけどな」
視線が何度も揺れ、合わない焦点を無理に結ぼうとしている。
だからこそ俺はそんな駒田の姿をしっかり見つめなければいけなかった。
「俺たちは初対面じゃない。北浜くんは覚えて無くても、俺はしっかり覚えてるよ」
胃の奥をねじられるような、奇妙な感覚。
唾液を呑み込むのが妙に困難で思わずせき込んだ。
「あの日、母さんはピアノコンクールで僕の優勝をお金で買った。一番やっちゃいけないことだった」
――あなたならできるって…ママ、信じてるわ。
よみがえる甘ったるい声。
あの人は子どものことなんて、何も信用していなかった。