Adagio
しばらく無言で耐えてみたが沢渡の視線が離れる様子がないので、俺はとうとう口を開く。
「…あの、何か」
ぼそりと聞いた瞬間、沢渡が夢から覚めたように背筋を伸ばした。
蝋人形だと思っていたものが実は人間だった。
そう言いたげな目だった。
居心地が悪いことこの上ない。
「わっ、ご、ごめんなさい!いや、何が言いたかったかっていうとですね…」
「歌花、帰るよ。あんまり遅いと置いてくからね」
「え、待って待って!」
「沢渡さん」
こっちを振り向きもせずつかつか歩いていく奏に慌てて付いていこうとする背中を、気付けば衝動的に呼び止めていた。
「…はい?」
呼び止めたはいいものの、どういう風に質問すればいいのかわからない。
そうこうしている間にも沢渡はじたじたとじれったそうに足踏みをしながら奏の背中を目で追っている。