Adagio
目を閉じ、そっと開けば突然広がる視界に光が差す。
いつも見ていたものとは違う、鮮やかな光。
雲が晴れたわけではなく、雨は変わらず冷たく俺たちの頬を打つ。
だけど胸の奥から湧き上がって来るこの熱い感情は。
「俺…っ」
顔を上げると奏の目尻から黒い雫が零れ落ちた。
それが雨だったのか涙だったのかは、その時の俺にはわからない。
「俺、弾く、よ」
「うん」
「あいつと練習する。もっと上手くなる。もう奏に、」
つまらないなんて、言わせないから。
そう言うと奏は雨でメイクの流れたスッピン同然の顔でにへっと笑った。
きっとその顔が、今まで俺が見た奏の顔の中で一番いい表情だった。