スピカ
 ぎしりとベッドの軋む音がした。それと同時に伝わって来るのは、音と反比例の、小さな揺れ。
少し焦点がズレただけで、大した異変はない。横目に見えていた楸さんが、視界から外れただけだ。

苦い沈黙。あたしがもたらしたものとは言っても、やっぱり重い。

わざと楸さんの方を見ないようにしていたのに、差し込んだ夕陽のせいで、不意に目を泳がせてしまった。
見えたのは、立っている楸さんの姿で、冷たい眼があたしを捉えている。首元がぞくりとしたのが分かった。

「忘れられる訳ないじゃん」

……は?

「何でそんな事言うの」

何で、と聞かれても困る。答えられない。

「逃げんなよ」

現実から、と続く声が聞こえたような気がした。もしかしたら、自分の中から来る幻聴だったのかもしれないし、実際に楸さんがそう付け足したのかもしれない。
ずしりと重いそれは、あたしの胸の奥をえぐり、押し潰そうとのしかかってくる。
自然と歪んだ顔を逸らそうとするも、瞳は混沌。逃がす事を赦さない。

冷たい表情のまま楸さんは向きを変え、ノブに手を掛けた。

「……じゃ」

それだけ呟くと、静かに部屋から出ていってしまった。
微かに階段を下りていく音が聞こえる。決して弾んだ音なんかじゃなくて。漂う虚無感が、やけに心を乱す。

怒らせた、かもしれない。

あの眼から読み取れる事は皆無に等しいけれど、それでも、それだけは何となく分かる。悪いのは、あたしだ。謝ろうなんて考えは毛頭ないけど。

でも、分かっているから。楸さんを、頼り処にしちゃいけないって事は。
いくら妹みたいに思ってくれていようが、いくら心配してくれようが、楸さんは家族じゃない。変わっていく。
少なくともあと1年半もすれば、大学を卒業し、楸さんはここを出ていく。いなくなってしまう。
だから、頼っちゃいけない。
世話を焼いてもらうのは、今日で最後。それで良い。

それなのに。あたしが女っていうだけで、気に掛けようとするんだ。
忘れてくれれば良いのに。あんな出来事。あんな、あたし。


楸さんは、狡い。

< 109 / 232 >

この作品をシェア

pagetop