スピカ
「どうして、あたしに怒る理由があるの? 怒ってるのは楸さんでしょ?」

「へっ? 俺? なん、で……」

いまいち話が噛み合っていないらしい。首を傾け、しかとあたしを見つめている。

「……あたしが邪魔しちゃったから、怒ってんじゃないの?」

「まっ、まさか! だから違うって! 邪魔も何も、俺、まだあの子とは何もないから!」

「……ベルトが締まってない人に言われても、説得力ないんだけど」

慌ててベルトを締めるのが、単純過ぎて笑える。何を焦る必要があるのだろうか。
それに、ベルトを締めたところで、上半身が裸なのだから説得力もクソもない。

「つか、女放ったらかしてきていいんですか? 早く戻ったら? 見てて寒い」

ポカンとした顔が暗がりに浮かび上がる。今更戻って上手くいくとも思えないけど、これ以上、あたしは巻き込まれたくない。楸さんは空を見るような眼であたしを見ている。

「あ……、うん……」

なんて気の抜けた声。全身の力が吸い取られてしまいそう。
すっかり緩まった手を、肩から払いのけると、いとも簡単にあたしの身体は開放されてしまった。

「じゃ」

黒から目を逃がし、そう呟いた。
楸さんが呆気に取られたような顔をしているのが、見ずとも分かる。
やっぱり、あたし達は噛み違えているみたいだ。だって、楸さんが驚いている理由があたしには分からないのだから。

当の本人は部屋へ戻る気配がない。
やむを得ず、体の向きを変える。背筋が凍ったように寒い。
それから逃げるように、あたしは灯りの燈る方へ足を向けた。


楸さんは、玄関へ戻るのを見送るかのように、ぼんやり突っ立ったままでいる。
一体、何を考えているのだろう。あたしがどんな風に感じたと思ったのだろう。

どんな気持ちで、あたしの背中を見送っているのだろう。


カタンと、閉じた扉の音が静かに響いた。
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