スピカ
 唇が荒れてザラザラする。乾燥した空気と、リップクリームの塗り過ぎのせいだろうか。原因が分かっていても、違和感に耐え兼ねてまた同じ事を繰り返す。
少し赤くなった唇が、あたしの顔にはどこか不似合いで、取って付けた様な色を挿している。自分の顔に嫌気が差しながらも、どうにもならない事を悟り、鏡の前から立ち去った。

トイレから出ると、冷たい空気が不意に体を包み込み、背筋を笑わせた。
自然と足は歩を速めていって、更に寒さが増したような気もするけれど、それでも、この寒さの中にいる時間が少しでも縮まれば、と思い、一直線に教室に足を向ける。

「雅ちゃん!」

ふと、後ろから低い声が名前を呼んだ。
女子トイレの隣りは4組の教室で、その入口からちょうど出て来たのは、悠成君だった。

「悠成君、何か久しぶりだね」

「おう。そうだな」

久しぶりなのは、当たり前か。亞未と悠成君が別れてから、まともに話すのは、多分これが初めてだ。
別れたからと言って、2人がめっきり話さなくなった訳ではない。それでも、やっぱり2人の間には、少しだけ気まずさが滲み出ていた。

「亞未は? 教室?」

頷くと、悠成君は一瞬変な顔をした。

「やっぱ、勉強頑張ってるんだ。何か、安心した」

立ち止まって話す、この妙な距離と空気がどこかもどかしい。言葉を無理矢理繋いでいるのが、何となく分かったからだ。こういう空気と時間は、あまり好きじゃない。

「あのさ、いつも亞未と一緒にいたから言いにくかったんだけど、」

逸らしていた眼があたしを捉え、悠成君は言葉を濁した。

悠成君を見ていると、なぜか違和感を覚える。
これまで、2人で話していてもこんな事はなかったのに、今は悠成君の記憶を、脳内から必死で引っ張り出そうとしている。広い図書館の中で1冊の本を探しているような感覚が、この短い時間に頭の奥で繰り返されていた。

「雅ちゃん、大事な事忘れてねぇ?」

その苦笑いの理由に気づくまで、あたしは何度脳内を駆け巡らせただろう。

悠成君の困ったような顔の裏には、もしかすると、怒りの表情が隠れていたかもしれない。
それでも、頭ごなしに怒鳴ったり、無視したり、そんな行動に出ない悠成君は、あたしが思っていたより、幾分も大人だった。
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