スピカ
「それに」

そう零し、森崎さんの優しい目が困ったように曇った。視線を脇へ逸らす仕種が、少し不自然で。続ける言葉に、怯えすら感じてしまう。

「今は他人どころじゃないだろうよ。親父さんがあんな状態じゃ……」

「……待って。それって、どういう事?」

ほんの一瞬だけ、巻き上がっていた風が止んだような気がした。乾燥してヒリヒリしていた手が、次第に湿っていく。
不思議な事に、上がっていく体温と脈打つ心臓は比例していない。怖いくらいにゆっくりと、一瞬一瞬、時を止めていく。このまま止まってしまうんじゃないか、とさえ錯覚するほどに。

「え、あれ……ごめん、もしかして聞いてなかった……?」

何だよ、ソレ。聞いてないも何も、会ってすらいないのに。何の話をしているのかも分からない。

「いや、大家さんには伝えてあるって聞いてたんだけど。雅ちゃんに言っても大丈夫なのかな……」

「何なんですか……?」

怖いのに、わざわざ促すあたしは、ただの馬鹿なのだろうか。森崎さんは1度躊躇って、それから真っ直ぐ目を見据えた。

ただただ、嫌な予感ばかりが脳を過ぎる。

「楸君の親父さん、怪我しちゃって……昨日やっと意識が戻ったらしいよ」

「意識不明だったの……?」

こくりと頷いた眼は真剣で、冗談と疑う隙すら感じさせない。

「詳しい事は分からないけど、とにかく意識が戻って良かったって言ってた」

そんなの、全然知らなかった。
一昨日って……、最後に楸さんと会った日じゃないか。

呆然とその場で話を聞くしか出来なくて、相槌を打つ事もぎこちなくなる。

あの後、そんな事があったなんて。


一緒にいてあげられなかったなんて。


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