スピカ
 箸の先がゆらゆらする。手が揺れているのか、視点が定まっていないのか。それでも、地面が揺れている訳ではないらしく、足はしっかりと床のフローリングについている。

「早く朝御飯食べてちょうだい。片付かないでしょ」

マグカップにコーヒーを注ぎながら、お母さんが怪訝そうにちらちらとこっちの様子を窺ってくる。聞こえていない訳じゃないけど、箸が進まない。

「何? あんた、また御飯食べないつもりなの?」

「うん、……やめとく。ご馳走様」

箸を揃えて置くと、皿の上の淡い色彩に濃い赤が注してほんの少し鮮やかになった。それでも、お母さんはそんな事を見てはいなくて、うんざりといった顔をする。片付けようと席を立つと、玄関戸が開いた音がして、お母さんは深く溜め息を吐いた。

「ほらー。雅が早く食べなかったから、掃除機かけ終わる前にお父さん帰って来ちゃったじゃないの」

もう、と再度溜め息を繰り返すと、あたしの手元にあった食器を手荒く奪い取って行ってしまった。お父さんは、掃除機が嫌いなのだ。
今帰ってきたらしいお父さんは、寒さのせいで、被っている帽子と同じくらい鼻が真っ赤になっている。

「お帰り。お父さんごめんね、まだ掃除終わってないのよ」

さすがはあたしの父親というだけあって、適当な返事をすると、無神経にも邪魔な所に座った。今から掃除を再開するお母さんの気なんてお構いなしだ。

手持ち無沙汰になったあたしは、同じく邪魔な所に突っ立っている。お母さんの眉が如何にも欝陶しいと言っているけれど、何かに引き止められるように、あたしは動けずいる。
それを自覚する前に、自然と口が動いていた。
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