スピカ
「あんた、何やってんの?」

玄関の戸が開いた途端、全身の力が抜けてしまった。速まっていた心臓も、驚いたのか、不規則に脈打っている。そこから現れたのは、楸さんじゃなかった。

「蛍姉……」

楸さんではなかったけれども、まさか蛍姉だとも思わなかった。期待外れと言うか、意表を突かれた。ぽかんと開いた口が塞がらない。

後ろ手に引き戸を締めると、怪訝そうな顔のまま視線を奥へやった。

「お母さーん、早くー!」

遠くから、それに応える声が聞こえる。咄嗟に、家の中に入るものだと思って通り道を空けたものの、蛍姉は玄関に突っ立ったまま、あたしに目を当てた。

「……何やってんの?」

「……別に」

ふーん、と細まる目の周りには、珍しく化粧が施されている。綺麗に囲われた黒い目が、何だか、懐かしい。

後ろからパタパタと足音が聞こえ、ふわりと少し甘い香水が香った。考えるまでもなく、それがお母さんのものだと分かる。昔から何も変わらない。少し高いレストランや、電車で出掛ける時は、いつもこの香水をつけていたから。

「どっか行くの?」

顔を上げると、ほんの少しはにかんだお母さんの表情が目に入った。綺麗に着飾っていて、どこかの奥様みたいな高貴な雰囲気が漂っている。今日限りなのだろうけど。

「ディナーよ、ディナー。たまにはお母さんと女同士で御飯食べに行こうと思って」

「……ふーん」

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