スピカ
 単刀直入過ぎたのだろうか。
後悔しても今更。もう遅い。逃げ出したい衝動を抑えつけ、じっと楸さんの母親らしき人を見つめる。すると、彼女は困ったように笑った。

「楸は、今は出てていないんだけど……」

「あ……そうですか、」

更に体全身が強張ってしまう。電話でもそう。本人がいない、っていうパターンが1番気まずいのだ。
笑顔を作る事すら忘れたまま、あたしが踵を返そうとすると、その人は急いで「あ、でも」と付け足した。

「すぐ帰って来ると思うから、中で待ってやってちょうだい」

語尾を上げてそう言うと、まるで小さい子にでも言い聞かせるみたいに優しい笑みを作る。
息子とは似ても似つかない微笑み方をする人だ。それでもまだ、あたしはこの人が楸さんの母親である事を否定しなかった。


ね、と念を押された時、ふと、今の状況から逃げ出したくなった。居心地が悪い訳じゃないけれど、知らない場所なのだから良いはずもない。それに、どんな顔をして、ここで待てば良い?

「いやっ、いいです」

気づけば、もう、そう口走っていて、それが本能的な答えだったのかもしれない。考えれば考えるほど、逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていく。
楸さんのお母さんは、少し心配そうな顔をした。

「そんな。本当にすぐなのよ?」

「あの、いや、本当にいいです。じゃっ」

きちんと振り向く事もなく、そう言いきると、あたしは急いで事務所の外へ飛び出した。後ろから何か呼び止められていたにも関わらず。

戸を閉めた途端に恥ずかしさが込み上げてきて、全身に熱が燈っていくのが分かる。この場にいると、周りのもの全てに押し潰されそうで。雪が積もっているという事も忘れ、その場所から走って逃げた。
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