スピカ
 自販機の上には、雪が10センチ以上も積もっていて、何だか、可哀相だった。もしかしたら自販機だって、あたしを見て同じように思っているのかもしれないけど。


暗い雪空の中、青白い蛍光灯だけがやけに輝いて見えた。雪の中にあっても、それはあまりに白過ぎた。眩しいほどに。覗き込むと、睫毛が自然と狭まる。

だけど、並んでいたのは缶ジュースではなく、煙草の箱だった。

なんだ、紛らわしい。

自然と肩が竦まる。いとも簡単に裏切られてしまい、行き場をなくした小さな期待が白い溜め息へと変わった。

吸い込む空気が、身の毛も寄立つほど冷たい。さっきまで身体が熱くて、湯気が立ちそうなほどだったのに、もう、過敏反応を起こしている。汗を掻いたせいで、余計に寒くなってしまった。動いていないと、どうにかなってしまいそうで。

そこから立ち去ろうとした時、ふと、思いがけないものが目に留まり、あたしの体は微かに動いて、すぐに停止してしまった。

濃藍の、四角い箱。

こんな趣味の悪い、如何にも有害そうなパッケージ、絶対に見間違えない。“Spica”は、楸さんの吸っていた煙草だ。

あたしの苦手な香りが、雪の匂いに混ざり合って、嗅覚に甦る。


匂いも、顔も、声も、全部全部

あたしには必要なの。

瞼の裏ではこんなにも鮮明に浮かび上がるのに、

記憶だけじゃ、足りないんだ。


今この瞬間を、これからの時間を、


すぐ傍にいてほしい。


“変わらないで”なんて、言わないから。




楸さんに、逢いたい。


< 214 / 232 >

この作品をシェア

pagetop