スピカ
「冷たくなってる」

楸さんの耳こそ、冷たい。こめかみからその温度が伝わって、身体全身がぞくりとした。
反応した身体がすぐに熱を帯びていく。楸さんから熱を奪う。

凍てついた体が、溶けていく。
呼吸、指先、心。


この数日間、ずっと、求めてたもの。
ううん。きっと、もっと前から。

優しさも、この温もりも、その突き刺すような強い瞳も。

ずっと、ずっと欲しかった。


「ねぇ、楸さん」

低い声で、「何?」と答える。優しい口調に心臓が震えた。

「楸さん」

「うん」

口を噤むと、急に我慢出来なくなり、涙が出た。1粒零れると、止まらなくなるのが涙ってもので。ぽろぽろと、雪より速く下に落ちる。

「何で泣くの?」

楸さんは、笑い混じりにそう言った。吐息がマフラーの隙間から漏れ入ってくる。

「泣かないで」

だけど、声は震えていて。

「泣くなよ」

抱き締める力が強くなる。ぎゅうう、と潰されちゃいそうだ。

「……俺が泣きたいよ」

髪に絡んだ手は、少し固くて、すぐに震える声は、時々、弱い。あたしを包み込める長い腕は、浮気者で、誰よりも優しい。

「俺、馬鹿だから、期待しちゃうだろ」

「楸さんは、馬鹿だよ。本当、馬鹿だ」

力加減が分からない。背中を強く抱き返すと、身体がもっと熱くなっていった。楸さんの細い身体は、それでもびくともしなくて。それが何だか悔しくて、愛しい。

「自分の気持ちだけ伝えて、勝手にいなくなるなよ、馬鹿」

腕を緩めると、また最初の地点に戻ってしまった。楸さんはまるで言葉を見失ったみたいに、口を開いていた。
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