スピカ
 どれくらいの時間が経ったのだろう。体内の時間感覚が、完全に狂ってしまった。客は減るどころか、どんどん増えていくばかりで、おかしくなりそう。

10月だと言うのに、火の中にいるように汗が噴き出てきて、いちいち拭うのも煩わしい。暑い店内の温度は、30度を超えているのではないかと思う。それはあたし達だけなのかもしれないけど。

でも、文句なんて言えるはずがない。中で調理をしている人達は、もっと暑そうだからだ。
鍋や炊飯器の湯気で、かなり温度は上がっているだろう。髪もびしょびしょだし、殺菌手袋の中はきっと汗だくで。ただ、調理場はほとんどが男の子だという事が唯一の助けだった。


「藤代さん、ソレそっちじゃない! あっちの客!」

「えっ?」

「あっち!」

「は? どっちよ? 分かんねぇわ!」

癖で、ついつい口調がきつくなってしまった。それに気付いたのは、言ってしまった後で。

「あ……」

視線を上げると、指を差していた水島君が鷹のような目をキッときつくした。

「そんな言い方ねぇだろ? あっち、っつってんじゃん! 早く持っていけよ」

こ、怖……

気がきついとは言え、さすがのあたしも怯んでしまった。普段大人しい人は怒らせると怖い、っていうのは、どうやら本当らしい。眉を顰めたまま、水島君は奥へ戻って行ってしまった。
すっかり呆気に取られたあたしは、黙って言われた場所にそれを運ぶしかなかった。
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