スピカ
 さっきの女は、もうどこかへ行って見えなくなってしまった。人込みの中でもすぐ見つけられるくらい派手だったから、相当なものだ。

吐いた溜め息が音楽に掻き消され、新しく亞未の声がそれに被さる。

「……えっ、そうなの? ヤバイじゃん」

たった数人しかいない教室の中でも、電話相手の声はさすがに聞こえてこない。聞こえるはずはないのだけれど、何がヤバイのか、黙って聞き耳を立ててみる。

「今どこにいんの?」と、亞未が窓から下を覗き込んだ。ここから探しても、おそらく見つからないだろうに。

「……分かった。じゃあ今から着替えて、すぐ行くからそこで待ってて」

無愛想にそう言い、手早く電話を切る。悠成君の時とは大違いだ。亞未が猫を被っている、とかそんなのじゃなくて。

「何かあったの?」

身支度を始めた亞未に、野暮な事を聞いてみる。あたしには関係のない事とは言え、何となく気になっただけ。

「うん……ちょっとね。アイツ、来たみたいだから行ってくる」

“ちょっとね”で済まされてしまった。特に気にならなかったけど。大体は予想がつくし。

特に何かしていたという訳じゃないけど、亞未がいなくなれば、あたしはかなり暇になるだろう。
教室に残っているのは、大人しい真面目ちゃん達と、元テニス部のキャピキャピ系。どちらも嫌いじゃないけど、あたしにはいまいちノリが分からないし、わざわざ話に入りに行くのも、何か違う気がする。

はぁ、と空に溜め息を溶かす。

洋君も、そろそろ来てる頃でしょ。
携帯の画面に見慣れた番号を表示させてみる。少し間を置いて、躊躇う親指が通話ボタンを押した。

――プルルル

呼び出し音がいつもより遅く感じる。
そういえば、あたしから電話をかけるのはこれが初めてだ。いつも洋君がかけてきていたから、変な感じ。


けれども、一向に出そうな気配はない。
もう何コールも待ってみたけど、全部途切れて流れて、の繰り返しで。複雑な気分のまま、仕方なく電話を切る事にした。
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