断崖のアイ
 その背中を見送り自分もドアに向かったが、やはり足は止まる。

「……っ」

 わたしはやり切ってはいない、これでは逃げたのと同じではないのか?

 しかし、これ以上わたしに出来ることなど無い。このまま戻ったとしても、彼から聞いた全てを報告するのかすら疑問だ。

 赦されざる存在、祝福された存在──決めるのは他人ではなく自分自身なのだと、語らない彼の瞳からそれを感じ取る事が出来た。

 人は弱い。だから寄り添い、傷つき傷つけられる。

 それでも独りではいられない。寂しさは、まるで酸素と同等であるかのようにまとわりつき決して離れる事はない。

 彼もまた、人の中に身を置いているという事はその温もりに触れていたいのだろうか。

「わたしは結局、彼の何を知ったのだ」

 悔しさが込み上げる。

 強くまぶたを閉じて立ちつくした。




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