異本 殺生石
「歴史は、少なくとも歴史の大勢はタイムマシンを使っても変えられない。それが22世紀の定説だ。例えばよく言う譬えだが、クレオパトラの鼻が多少低かったとしても、ローマ帝国とエジプト王国はいつかは戦争になって、双方とも同じような運命をたどっただろう。あるいは20世紀初頭のドイツへ行ってヒットラーを暗殺したとしよう。ユダヤ人の大量虐殺を起こさせないようにね。しかし、それであの時代のドイツの政治、経済状態までが変わるわけではない。民衆は英雄を求めただろうし、ヒットラーではない別の人物が別の名前のファシズム政党を率いて独裁者になり、結局第二次世界大戦は起こっただろう。あの時代ヨーロッパ全体でユダヤ人に対する差別と偏見があった以上、多少形や規模は違っても、やはりホロコーストは起きただろう。だから、いくらタイムマシンがあっても、しょせん人間の手で歴史の大勢を変える事は不可能なのだよ」
「だとしたら、あなた方が存在するという事実と矛盾していませんか?」
 それまで黙って話を聞いていた昭雄が不意に口をはさんだ。
「しょせん人間には歴史の大勢が変えられないのなら、たとえタイムマシンを悪用されても大した影響はない事になる。だったら、あなたのようなタイムパトロールはいなくてもいいはずだ。そうじゃありませんか?」
 それを聞いたアベは高々と笑った。
「はははは!いや、やはり君は鋭い!こんな仕事をしていると、本音で語り合える相手など滅多にいなくてね。久しぶりに楽しい会話ができてうれしいよ。そうだね、さっき歴史の大勢は変えられないのが定説だと言った。だが、定説はあくまで定説で、100パーセント正しいという保証はない。歴史上の有名な人物を殺したらとか、助けたらなんて事は誰でも思いつく。もし歴史の大勢が変わる可能性が否定できないなら、念のために私のようなタイムパトロールをあちこちの時代に配置しておけば防げる。むしろ問題は、間違っても学校の歴史の教科書には載らないような、小さな変化の方なのだよ」
「小さな変化ですか?」
< 57 / 71 >

この作品をシェア

pagetop