空しか、見えない
 もうひとり、同じタイミングで泳ぎ始めたらしい環も、それに返信を重ねてきた。

〈今日は1キロ。
 久しぶりに、プールの中で体が汗を流すのを感じたね。まだ泳ぎ出していない人、そろそろ急いで〉

 待望のキャビンテストに合格し、クルーのひとりとして本格的に働き始めたばかりの頃、自分はすっかり国際人の仲間入りを果たしたような気持ちになっていた。仕事の規律も、何かと日本の方式とは違い、何をするにも責任は自分に託されているように感じた。
 パリでの暮らしも一々新鮮で刺激に満ちていた。人々は大胆に装い、ディナーの前には、香水を纏う。人と会うときには、ブラウスの胸ボタンはきちんと閉めるものだと思っていたが、クルーたちは、ひとつふたつと深くまで外し、口紅を引いて準備を整える。
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