空しか、見えない
「食べよう、のぞむ。今日の料理はきっと、今までで一番美味しい。これは、あわび、これは白きくらげ、最高の贅沢」

 ルーは、白飯をよそった自分ご飯茶碗の上に料理をのせては、口に運んだ。のぞむは、彼女の最愛の息子の口に、同じように匙で、少しずつ運んでやる。
 ルーの表情には、先ほどまでの険が消え、声も和らいでいた。まるで、ふたりの間に張りつめていた糸がぷつんと切れたように、ルーからは穏やかな空気が流れていた。
 そして、突然、こう言い出したのだ。

「上海に行くよ。今は世界中のどこより好景気なんだから、きっと仕事がある」

「上海?」

「そう、のぞむ。坊やと私は中国へ帰る」

 ルーは茶碗を手にしたまま、泣きじゃくり始めた。
 泣いたまま、食べるのもやめなかった。
 わかるような気がするよ、ルー。俺ら外国人が、ずっとニューヨークにいる必要なんてないよな。どう足掻いたって、先は見えてきた気がするよな。

「だったら俺も、上海へ行こうかな」

 のぞむは、また調子のいいことを口にしてしまう。

「行けるはずないよ。あなたは中国人じゃない。早く日本へ帰れ。サチのところへ、帰りなさい」

 ルーはそう言って、呆れたようにこぶしでテーブルを叩いた。せっかくの料理が、テーブルの上に少し跳ねた。坊やが驚き、膝の上で少し飛び、こちらを見返した。微笑んでやると、また落ち着いたのか匙から白飯を食べ始めた。

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