空しか、見えない
「由乃のせいじゃないんだ。彼女は、そんなに酷い子じゃないよ。ただハッチの思い出はさ、俺にはあまりに大切で、うまく言葉になんかできなかったんだ」

 純一がそう言ったとき、バーのドアが開き、戸口を振り返ると、眼鏡をかけて、少しずんぐりした体系の男が立っていた。よほど慌ててきたのか、眼鏡が曇っていた。
 紺色のコートの襟から、白いポロシャツの襟が半分覗いている。手に鞄を提げている。

「あの、私は」

 そう言いかけた彼に、芙佐絵が椅子から降りて行き、横に立った。

「私が紹介するね。同僚で、体育の先生よ。吉本さんっていうの。ずっと、泳ぎを教えてくれて、それで今日はようやく仮免許をもらったところだったんだけど……」
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