空しか、見えない
「とってもいいな、と思ったのはここなの。やっぱり、すべての泳ぎで大切なのは、手なんだって。著者は、子どもの描いた絵を見て、子どもたちは無意識のうちに意識が手に集中していると感じるの。大きな手の指を、力いっぱい頭の先の方へ、まっすぐ伸ばしているって。でもね、ご婦人方に指導をしたら、みんな死んだ手だった、って。きっと、私の手もそうね。
 遠泳についても書いてあるのよ。〈こわいというのは感情だから、時間をかけて自分でそれを克服しなければならない〉って。でも、遠泳が競泳と違っているのは、疲れ果てたときに隣を泳ぐ友人に励まされて、生涯忘れられない経験になるって。若いときにぜひやっておきたい経験だって……ごめん、やっぱ、退屈だった?」

 環の顔を見やると、不意に手首をつかまれた。

「死んだ手なんかじゃないよ。サセの手、すごくきれいだよ」

「あの、違うの。泳いでいるときの手のことで」

「わかってる」

 そう言って、佐千子の手首から手の先へと環の手が移っていった。
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