空しか、見えない
「いいんだ、俺、サセが幸せならそれでいいから」

 環はそう言うと、手を離した。
 いつものように、まゆみに向かって手をあげ、ビールの次はウィスキーを頼むと、笑顔でこう言った。

「そういやさ、俺、今週末に、ついにこいつから解放される」

 こぶしでこんこんとギプスを叩く。

「本当?」

 環は頷く。

「見てろよー。一気に巻き返すからな。これさえなければ、気力で泳いで見せるからさ」

「よかったー」

 佐千子は小さく手を叩く。

「そういえば、昔もそんなこと、あったよね? のぞむっってさ、遠泳へ出発する前の晩に39度の熱出したんだよね。あ、……また、ごめん」

「なんで謝る?」

 環は佐千子の顔を覗き込み、目を合わせ、ゆっくり笑みを浮かべた。

「俺だって、覚えてるよ。のぞむが行けないかもって、連絡網が回ったんだよな。だけど、あいつ、救急病院に駆け込んで、たったひと晩で熱下げて来た。岩井に着いたら、もうぴんぴんしてたもんな」
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