フィレンツェの恋人~L'amore vero~
でも、この出来事が、全ての始まりだったのかもしれない。


深く考える事もなく、午後からも来客に笑顔を振りまく私は、やはり能天気な孤児だった。


東子というドレスを身にまとった、実花子という名のハ言ハイカブリ。


「すみません。営業部は何階ですか?」


「2階でございます。右手のエレベーターをご利用下さい」


「ああ、ありがとう」


私は、世の中も運命も、宿命も、全てにおいて甘く見ていたのだ。


鷹司との接触。


これこそが、全ての始まりだった。


それがきっかけで、私は真実と嘘が渦巻く運命に飲み込まれて行く事になるとは、思いもしなかったのだ。












夕方、定時で退社し、着替えるために一度マンションへ帰った。


「東子さん、出掛けるの? これから?」


「ええ。帰りは何時になるか分からないから、先に眠っていて。食事は、冷蔵庫の中の食材で適当に済ませてくれる?」


「……それはいいけど。どこに行くの?」


ソファーに深く沈みながら聞いて来るハルに事情を説明すると、ある言葉に、明らかな反応を示した。


「た……かつかさ、グループ?」


エキゾチックなハルの低い声が、ほんの一瞬、上ずった。


「そう。その、会長と社長と」


だから、さすがに高級フレンチディナーにカジュアルはないと思い、寝室に向かいクローゼットを開いた。


「どうしよう。フォーマルというわけにもいかないし」


すると、


「外資系、最大手じゃないか」


と背後からハルが言った。


「あら、ハル」


服を選ぶ手を休めて、振り返る。


「若いのに感心ね。よく知っているわね」


この世代の子たちは、ほとんどが興味すら持たないような話題なのに。


ハルは「まあ。そこそこは」とあからさまに目を反らした。


そして、ドアにもたれながら、続けた。


「鷹司と、九条。それくらいは知ってるさ。だって、今話題のツートップでしょ」


「でも、驚いた。ハルのような高校生が、まさか外資系企業の事に興味を示すとは思っていなかったから」


ハルからの反応は、一切なかった。


再び、クローゼットを探っていると、


「フレンチ、と言っていたね」


妙に色気のある声と同時に、背後からすーっと長い腕が伸びて来て、ある一着のワンピースをハンガーごと引き抜いた。

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