フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「はい」


私たちは、せーの、で同時に言った。


「「男の名は、愛」」


「私が観たオペラの最後は、カラフがトゥーランドットに向かって階段を駆け上がり、彼女を抱きしめ、群衆たちから祝福を受けるんです。たしか、そうでした」


「そうですか。僕は少し違うな」


と、煌さんは長い脚を組んで、軽く頬杖をついた。


「群衆たちの前でトゥーランドットがカラフの手を取り、高々と突き上げ、例の台詞を叫んで終わるんだ」


懐かしいな、と呟いた煌さんの横顔はやっぱり、貴公子だった。


「煌さんもオペラを観たの?」


頬杖をつきながら、煌さんはふっとやわらかな笑顔になった。


「そうです。僕は日本で生まれましたが、10歳の冬からフランスで育ちました。なので、オペラ・ガルニエで観ました」


「素敵。あの、オペラ座の怪人で有名な劇場ですよね」


ちなみにどなたと? 、私が聞くと、煌さんは少しくすぐったそうに教えてくれた。


「7年前、交際していたかつての恋人と。あの頃、僕は20歳で、彼女は18歳でした」


「と、言う事は、その彼女は私と同い年なのね」


煌さんは、今、27歳と言う事になるのね。


「では、東子さんは今、25ということですか」


「そうです」


なぜ、こんな事までべらべらと話しているのか、自分でも不思議だった。


「煌さんとその方は、今は?」


聞いてはいけなかったかしら、と肩をすくめた時、煌さんは意外なほどあっさりと答えてくれた。


「オペラを観た数日後、別れました。振られてしまいました。あなたとは価値観が違い過ぎる。それが理由で」


「そう」


「でも、どちらにせよ、別れる運命だったのでしょう。僕と、彼女は」


と煌さんは涼しげな顔でさらりと言う。


「彼女は、留学生でしたし、いずれ日本に戻る事は分かっていました。無理ですよ、フランスと日本という距離は。あまりにも遠すぎますから」


確かに、と私は頷いた。


「日本の女性だったのね」


「ええ。今頃、何をしているのかな。まあ、積極的で活発で明るい女性だったから、元気でやっているだろうけど」


その時、


「煌様」


店員が来て、


「一郎様がお呼びでございます。席にお戻りになるように、と」


一礼して去って行った。
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